カフェイン中毒の自殺はつらいからやめとけ

やめとけ。死ぬの思ったよりしんどいからよ。まだカフェインを出してる段階で意識もあるしTwitterもいじらるし頭もソレなりに回るんだけどなんせしんどい実家に強制送還されるとのことですから来週。来週私の死にかけの話を残しておきたいとおもうた。ので記事を起こしておいた。ねよ。カフェイン中毒自殺行為は、やめとこ。誰かのブログで読んでめっちゃ思った。地獄から引越しをするにも地獄。


2020/7/5

私にやっと、踏ん切りがついてきたので、備忘録をようやく書こうと思う。


その日、私はなんだか疲れてた。何をしたわけではないけれど…1ヶ月の休職をもらって後3日で復帰というとこだった。薬が増えて、発作も増えて、思うように仕事ができない自分、が嫌だった。仕事だって自分で言うのはなんだけど、ちゃんとやって、細々とした友達もいて。普通なオーエルだった。

多分私は私が思うより完璧になりたくて、結果を出したくて。成果を出すうちに増えていくタスクに、増えていくほど疎かになる生活に疲れていた。

毎日死ぬ方法を調べては、これはできそう、これは無理だなと思う事がなんだか自分の逃げ道、拠り所に感じていた。手を出してはいけない逃げ道に私は逃げた。


その日、私は赤頬思春期の「私の思春期へ」を聞いていた。

美しかった時代が辛くて、愛されていないのがとても嫌で、パパもママも見つめてるのに心は裏腹に遠ざかってく。

この言葉が自分のようで辛かった。SNSを開けば私が続けたかったけど諦めたことを続けてる友達たちがいて、自分ばっかり辛いと思った。上司の失敗をなすりつけられて頭を下げて、新人の私には不釣り合いなくらいな大きな案件を私が持って、いつも頭を抱えて。わたしだけどうしてこんなに辛いのかと思った。

ふと、精神安定剤オーバードースをしてた友達の友達を思い出した。精神安定剤ってバケツいっぱいに飲んでも死なないって言うし、簡単に飛ぶって。リスカより痛くない自傷行為

机の上に無造作に置かれた薬に手を伸ばした。ズボラなので飲み忘れた薬達が100錠ほど。


全部飲んだ。壁もドアもミント色になって、よくわからない高揚感だった。景色がゆらゆらと揺れて、これがオーバードーズなのか?なんて。友達に電話をかけたり、友達とのラインにかわい〜!とめちゃくちゃに送ったりした。「酔ってるの?」と言う言葉に素直にオーバードーズしたの。なんてカラカラ笑うと、電話口からため息が聞こえた。それさえも面白かった。死なないとわかっていたけど死ねればいいなと思って、その日はカーペットに寝た。


朝、寒くて目が覚めた。その日はすごく雪が降っていた。でも私からはまだ薬が抜けていなくて、死んでない自分がすごく嫌で、どうしても死にたくて。最近見たカフェイン中毒で死にきれなかった人の記事を見て、私は死ねるかもしれないって安直な考えで、顔を洗って歯を磨いて服を着替えて外に飛び出した。まだ薬が抜けていないからサクサクと床に沈む自分が面白くて、足元だけを見て歩いた。


コンビニと薬局を梯子してカフェイン剤を200錠、カフェインドリンクを2本買った。帰り道はやったしねるんだという安堵と映画を見る前のようなワクワクした感覚だった。帰りも雪が面白くて、わざと足を上げながら帰った。

薬を飲むために酒じゃなくてコーラを買って帰ったのは、ちょっとだけ死ぬのが怖いなと思ったからだと思う。


薬を一気に飲んだ。カフェインドリンクは一杯でコーヒー4杯分のカフェインって書いてあった。その割に美味しいななんて。飲み終わった後、私は死を待った。



でも待てど暮らせど私は死なない。全身が心臓みたいに動いて、二日酔いの100倍辛い吐き気がやってきた。私は水をめちゃめちゃに飲みながら冷や汗をかいていた。死ぬのが怖くなっていた。

知り合いに「死ぬためにカフェインを死ぬほど飲んだのに、死なない」って泣いた。焦ったような声でちょっと待ってて、と言う声がして。ゲロを吐きながら待っていたらお父さんが来た。正直一番申し訳なくて、会いたくなくて。元気なふりした。でもトイレから立ち上がらなくなって這い出た後に寝ながらゲロを吐いた。朦朧とした視界では焦ったようにお父さんが救急車を呼んでいた。私は生きてるのに死んでるみたいだった。

救急車で搬送されながら、なんで私人に死ねないなんて電話したんだろうって後悔した。意識は朦朧としてるのにサイレンの音ははっきり聞こえていた。


死ぬと言うものの死ぬための代償は重くて、点滴に繋がれて定期的にゲロを吐いて、気持ち悪くて何もできなくて、看護師さんにナースコールを押しては水をください。トイレに行きたいと泣いていた。正直記憶はない。そういうのの専門の病院じゃなかったので私は1日で病院から出された。お父さんの車から見えた景色はお前は死んでないよと言っているようでつらかった。

家に着いたらお父さんのベッドに寝かせられた。呼吸をするたびにアーー!と叫び声を上げて関節の痛みに夜中に大声で泣いた。横隔膜の痙攣でとれたての魚のように体が跳ねた。思い通りにならない体より隣にいるお父さんを見るのが辛かった。自分の娘が死にかけていて。しかも自殺なんて。見たくないだろうそんな姿。私も見せたくなかった。心配して父に電話をかけてきた母に大泣きして懺悔した。心配かけてごめん、しのうとしてごめん。母は泣きながらいいんだよ。生きててくれてよかった。と言った。また申し訳なくて泣いてたら痙攣がひどくなってお父さんが電話を切った。3日くらい、こんな生活を続けて、やっとカフェインが抜けたわたしは地元に送還された。コロナのせいでギリギリ飛行機が飛ぶか飛ばないかのラインだった。飛行機の中で窓を見ながら泣いた。





でも私は関東での生活を諦められなくて、九州からまた出てきてしまった。会社は場所を移動して、細々と在宅で働いてる。暇すぎて時々ポケ森してる。


死ぬって難しいなと思った。

鼻水めっちゃ出るやん

前より増えた薬は気休めだなあと思う。効果はそんなにないなと思いながらも飲まないと不安になるな。ドキドキとする心臓を落ち着かせる方法も、うまく呼吸をする方法も、相変わらず分からない。潰れてしまった体はなかなか元に戻らないんだなあと思う。

湿ったことを書いているので暗い人間かと思いきや、元々おしゃべりで陽気では有るので、休んでる間にゆったりと過ごしたり人間と話していると元気になってきたね、大丈夫そうだねと安心した表情で言葉を投げてくる。元気になってきたかもと私もいう。でも本当はそんなに元気じゃないし、いつだって死にたい。実際1人で暮らしていると時々首をつっては霞む視界に正気を取り戻し、高いビルから飛び降りることを考えて空を見上げてはなんとなく怖くなりもう一度下を向いて歩く。痛いのは好きじゃないしなって死にたいくせに舐めてるなあー。


休職して実家に帰ってる間お母さんに大好きだとたくさん伝えた。お母さんが一番綺麗よ。素敵な言葉をたくさん言った。もちろん大好きだから言っているのも有るけど、正直自分がいつ衝動的に死ぬか分からなくなっているからだと思う。私が死にたくて仕方ない時に、もし本当の本当に死ぬ事を実行に移した時、きっと手放す前に1番に思い浮かぶのはお母さんの顔だと思ったから。あなたが大切で大好きだよ、生きてればいいというお母さんへの申し訳ない気持ちと、お母さんにもっといろんなことを話しておけばよかったと後悔すると思うから。お母さんへ向けて話した優しい言葉は私が死ぬ準備のための言葉の様な気がした。結局は自己満足の言葉だなあと思った。

そういえばきょうばあちゃんちにいった。なぜだか私の小さい頃のアルバムを見せてくれた。綺麗にファイリングされてる写真を見て私はたくさん愛されてるんだなと思った。まだ小さい私を愛おしそうに撫でるお父さんの写真に泣きそうになった。泣いてないけど。でもやっぱり死にたいなと思うのは不思議ね。


私は荒れた家庭で生まれたわけでもないし、少ないけど気の許せる友達がいて、温かい家族がいて、好きなことを勉強して、部署はクソだけど、安泰な大きめの会社に正社員として入って、不幸な人生ではないことはわかる。恵まれてる方だろうと思う。

でも私は死にたいなと思う。このずっと持ってる置き場所のない感情をどうしていいか分からずに今メソメソしながら文章を書いてる。書くことは感情の整理にいいって何かで読んだ。

死にたくてネットで死ぬ方法を調べ、実行できそうなものを考える。手っ取り早く死ぬには人生を全うして老衰みたいな、生きることを諦めるなみたいな記事を読んでは馬鹿じゃないの、糞食らえと思ったりする。別にそういうの求めてない。そんな言葉で生きよ!って思えるのならこんなになってないし。馬鹿みたいだな。そういう人間私嫌い。君より辛い人がいる、君より恵まれない人がいる、君より生きたいと感じてる人がいる。いや知らんし。私は私の感情しか知らないから私がつらいよ。でもそのつらい理由はよくわかんない。変なの。


本当に死ぬ方法を読んでどの方法なら一番迷惑をかけずに死ねるのだろうと考えたり、家で死んだ場合のハウスクリーニングの価格を調べたり、遺品整理で誰かが苦労しない様にできるだけ整理をしておかなきゃとAmazonで段ボールを買おうとしたり。葬式花火あげたいから花火の値段調べたり。

でも結局本当に死ぬ勇気はいつまで経っても出ないんだろう。死にたいなと思いながら今日も明日も死にたい私と今生きている私が共存して生きていくのだろうなと思う。ぱっと早く死ねたらいいのにね。てかなかったことになればいいのにね!私が。あとつらくなったら地元に帰っておいでって言われたけど絶対田舎には帰りたくないなと思う。今以上に世界が狭いから?地元の人間が嫌いだからかな。根本的に人間が嫌いだけど特に嫌いだと思う田舎の人間。つらくても私、都会にいたいわ。落ち着いてきたわ、寝ようかな。トイレ行っとこ。おしまい。明日も生きてるといいね。

見つけたオーマイガール



今まで地方という地方にしか居なかったためリリイベなるイベントにほとんど行けなかった。本命のイベントのためにコツコツ交通費やらを稼ぎちまっと会いに行く程度ののんびりとした金のないオタクだった。

それがどっこい転職で関東圏に住むことになり電車で行ける距離でぼこぼこリリイベが開催されるようになった。今迄行けなかった事もあり曲を好きだったり知ってたりすると割とすぐ行ってしまう雑食の女子高生オタクのような事をしていた。


oh my girlremember meでデビュー!リリースイベントを開催!という記事をたまたま見つけた。

おまごるはデビューから曲を聴く程度、アートワークが結構好きだったので何枚かCDも買っていた。名前と顔は一致するけど、この子はどんな子、等はほとんど知らなかった。

しかし年明け。鬼畜だな?と思いつつもそのときすきだったジホちゃんを一目見ようと定時で走ってサンシャイン池袋に向かった。


めっちゃ良かった。


確かその日はremember meと秘密庭園を歌った。キラキラとした衣装で歌って踊る彼女らは画面越しで見るよりずっと華奢で愛らしかった。見つけた!オーマイガールです!と元気よく挨拶する彼女らを見てわー本物だ。と思った。脳味噌が確実に溶けていた。

秘密庭園を歌っている間わたしはまだぜびぜに想いを馳せているタイプのオタクだったので、これがmy flower を抜いて1位なった曲かと何故かこうラスボスを見たかのような気分になったのをよく覚えている(JBJ my flower oh my girlの秘密庭園はthe showで1位争いをしどちらもとれば初の1位というところでおまごるが1位になった。当時はWi-Fiの使えるファミレスで一位のおまごる見ながら悔しくてちょっと泣いた)


どうにかこうにか手に入れたジホの撮影会では「すごかわかわいい」しか言えずにジホに苦笑いをされた。ごめんねじほちゃん。


でもそれよりずっと印象に残ったのが舞台に立つスンヒの姿だった。

ずっと手を振っている、ずっとオタクと何かしてる。と思わずトークやふとした瞬間目を奪われたし、キラキラとした笑顔がとっても綺麗で。のびのびと歌う姿が、ステージを楽しむ姿がまた綺麗だった。この子のオタクをしたら楽しいな?と思い、明日はスンヒちゃんに会いに行こう。と決意したオタクだった。まあその日は大人しく帰ったよ。




次の日も定時で走ってサンシャインに行ったよ!!


2日連続走って足が結構真剣に死んでいた。痛かった。息切れしながらCDを買い。スンヒが出なかったため券を持って立ち尽くしていた。

すると色んな人が誰求めてますか?とか、デュエルすんのか?みたいな分厚いバインダーに券をたくさん入れたおじさんとか色んな人が声をかけてくれたし、推し同士の交換じゃなくてもあなたが推しと逢えるならのような精神で交換してくださる方もいてミラクルすげー優しい優しすぎて怖いよ。となったのを覚えてる。でもこの感覚は毎回感じてる。わたし現場に行く友達誰もいないけどなんかこうみんなあったかいよね。ミラクルはすごい。


その日もremember meそして一時期狂ったように聴いたwindy dayをうたうおまごるを見てもうおまごるのオタクをすると腹を括った。2日目はユアちゃんのremember meを踊る姿が、表情が、空気を切る指先が、はらりと揺れる髪の毛さえ全てが美しくて、計算された美しさってってこういうことなのかな?と感動した記憶もある。


そしてついにスンヒのサイン会に無事行った私


すごい


しか言えなくなる。

今まで割と塩対応ドルばかりを追い続けた結果営業という営業をがっつりかけられたことがなかったため動揺してしまう。

私の名前を声に出して読んだあと可愛い名前!!と名前を書き始め、私が今日初めてスンヒに会いに来たことを伝えれば驚いたように「本当!?ありがとう!嬉しい!これは私の嬉しい気持ち〜!」と名前の横に大量のハートを書き出すスンヒに私はいとも簡単に落ちてしまったのである


そこから活動のたびに大量に届くCDに笑ってしまったりカード明細を見て青ざめる一年が待っているが自信を持って今のスンヒのオタクが一番楽しいと言える。


今年も年始のクソ忙しい時期のリリイベにデジャヴを感じながら全力疾走し、あの日より何枚も増えた特典券を握りしめ列に並び。スンヒと「お?久しぶりじゃない?元気にしてた?」とお互いに久しぶりだと感じられることが嬉しくて初めて会った日を思い出して振り返ってみた。レポを見ると結構な人数のオタクに久しぶり!としているようだが素直にどれくらいの数のファンを覚えてるのかなあ、と気になった。そして真摯にミラクルに向き合ってくれているのだなあととても感動した。


結論としてはおまごるは、いいぞということと、スンヒはプロアイドルですごい。ということ

またライブのスンヒだったりファンミのスンヒだったり特典会のスンヒだったり、記憶を辿りながらスンヒはすごく愛らしい女の子だということを書きたいなとおもいました。需要はなくても書きたいので書きます。よろみ。おわり。


X1のヨハンという存在は死んだのか



なんとなく思ったことを文に残しておきたかったので殴り書きする。語彙力は3歳。






X1解散決定


血の気が引いた感覚を久しぶりに味わった。

アイドルで血の気が引いたのはJBJの解散記事を読んだあと以来だった。引越しの運び出しを終えて3日後に演奏会の仕事が近くにあったから練習室に行こうとした矢先だった。へたりと玄関に座り込んで茫然としたのを未だ鮮明に覚えてる。そんな事はどうでもいい。

いや、まだ言いたい。もっとどうでもいいことを話すとヨングクのオタクをしていたためのこのもう少し後結構真剣に心が死んだし、

もっとどうでもいいことを話せばプエクのワンピックはユビンだったためまた死ぬことになる。プデュでのクソ男発見機と呼んでくれ。

ま、やっぱりこの話はもうやめようわたしが悲しいので本題を話そう。


ついこの前活動を支援する、活動再開的な記事を読んで嬉しくなった。けど正直デジャヴを感じている自分がいた。JBJも延長99%まで言われていたから。そしてそれがいとも簡単にひっくり返ったから。

でも今回はそんなこと無いだろう。なんて呑気に次のカムバックはどんなんだろなーなんて考えていた。


その矢先のこれだ。さすがに寝耳に水もいいところ。


練習生には非はないだなんてもうみんなわかりきったようなことをつらつらと並べ支援するだなんて当たり前のことを言い、あの会見なんだったんやろな。


彼等がアイドルとして輝くはずだった時間、そして努力した時間。解散というたった二文字で片付けていいものなのかな、これからを支援してくれたって彼等が浪費してしまった時間は決して戻ってくる事はないし、支援してくれたからと言って必ずまたヒットできる保証もなく。そしてこの騒動はアイドルをしている間付き纏ってくる話だろうなと。


きっと徐々に世間はこの騒動の事を忘れるだろうけど何年かはこの件に触れられ唇を噛んで耐えるしかない彼等を、彼等の夢をぐちゃぐちゃに壊した大人達は守ってくれるのだろうか。きっと守ってもらえない。いつも矢面に立つのは彼等だったから。早速出してきたMBK2人が謝罪をする動画を見て、なんかこう違和感というか世界クソくらえみたいな風にしか感じられなくて彼等を守らない大人にも、教養がないばっかりにうまく言葉を並べられない自分に腹が立ってその日はそのまま寝た。







話が変わりまして私はX1だとヨハンを支持していたオタクなんです。


テコンドー奨学生で大学に入学。国家代表予備軍、国技院最年少一段所有者の肩書も全部捨てて賭けたオーディションで掴んだ一位。ずっとアイドルになりたいって言えなくて、自分のことは自分で責任を取れる年齢になったからと挑んだこの挑戦で掴んだ一位を、センターを、夢だったアイドルの活動を、奪われたのが素直に悔しいなと感じる。悔しいより、なんかもっと相応しい言葉があるんだろうなと思う。悔しいじゃなんだか足りないから。

脚の怪我もあったし彼はちゃんと舞台に立てたのはそう多くない。これからだった。これからだというところだったのに。



ヨハニに出会えたことを感謝してる。プエクには感謝はしてる。

だが、プエクにでければヨハニが望んだアイドルにはなれなかったかもしれない。でもテコンドー選手として確約された明るい未来があったのかもしれないと思う。他人の人生を勝手に考えて口出しするなとはわかっている。でも考えずにはいられなかった。プデュに出なければよかった、アイドルを諦めてくれればよかったと。

正直1位になってもアイドルとして生きた期間が短い彼は軌道修正だってしやすいだろう。まだ彼は大学生だから、ちゃんと大学行って、勉強して、テコンドーして、恋愛がしたければ恋愛したり、やりたいことがあればそれをして。アイドルほど華やかではないけど幸せな未来がきっとあるかも知れない。


でも私はアイドルキムヨハンを知ってしまったから、舞台で輝くヨハンのことをアイドルとして好きになってしまったから。どうかアイドルでいて欲しいと思う。え?プエクにヨハニが出なきゃよかったとか言うておきながらそんなことある?って感じだけどさ。

X1のショーコンでセンターを張って出てきた彼の持つ華に、楽しそうに嬉しそうに舞台に立つ姿を見てアイドルのキムヨハンが素直に気になったしもっとアイドルとして成長していく姿を見たかった。


ンー。ま、ヨハニがアイドルしたいならして欲しい、もう懲りたならしなくたっていいよこんな精神抉られる仕事。もう意見がブレブレ。脳味噌溶けてるの?



昨日?一昨日?ファンにサインを書いたがヨハンの字の隣にはX1という字はなかった。正直言ってまじでバカエンタのラブリーベビー2人の動画より、ウソクの美しい言葉だけを書いた手紙より、スンヨンさんが夜中にこっそりとあげてくれた手紙よりも、X1は無くなったんだと感じた。ま、どのコンテンツも容赦なく終わりを教えてくれてしんどいんだけどよ。推しだからかな?特にぐっと感じられたんだなあ。X1は無くなったと。X1のキムヨハンはもう死んだ、今生きているのはウィエンターテインメント練習生のキムヨハンなんだなあと。


これからどんな活動を展開していくのかはよくわからない。グループを出すにしてもまだ手札は多くないウィエンタだから、すぐには出せないだろうし。ソロもいいけど同じ事務所のドンハンほど上手くいくのかよくわかんないし。ま、今やれば大人達の都合で解散させられた悲劇のアイドルみたいに扱われて同情商法でガッといけるかもしれない。けどなんかそれはやだなあ、さっきから注文の多いオタク、うるせえな!




辛いけど解散は決まってしまったことだし、これから君がやりたいことを好きにやってくれたらいいなと思う。まずは、幸せに、健康にいてくれ。


X1のキムヨハン、よく頑張ったね。お疲れ様。そして、さようなら。

リボンをつけて送るようなもんは何もないが。

 

プデュ終わった。音速だった。

瑠姫君、まずはデビューおめでとう。

君が夢をつかんだ瞬間自分のことのように嬉しくて涙を流した。

 

ハッピーお祝いしたいのにクソどうでもいい話ではあるが私は首を吊った。

何が不満かわからないし、会社のおばさま方とも良好だった。餌付けされてたし。

ふと死ぬしかないと思って首をつってもドクドクと脈打つからだが怖くなり結局まあ生きているのだが。医者からパニック障害やらを言い渡され思わず病院を出て笑ってしまった。どんな人間でもなるんだなあと。薬を飲みながら今も細々と生きている。

首をつって死にかけたことを唯一はなした友人に「首つって死のうとしていた人間が瑠姫君を見るために会社ダッシュしてて元気になれてきてるじゃん、瑠姫君にありがとうじゃん」って言われて瑠姫君にありがとうせななと思うんやけどお歳暮の送り先はどこですか。

とりあえず瑠姫君の話をしようかと思う。いつでもいいので瑠姫君お歳暮の送り先教えてください。

 

最近になって私は瑠姫君を見つけた。

実は最初のツカメで見つけた一番素敵な顔だと思ったのは瑠姫君だった。だが宣材写真が私的にクソ微妙だったのと、日プをそんなに興味を持って生きていなかったのでそこまで興味を示していなかった。

カルボナーラパーティーに行きたいということで、河野純喜に投票し、デビューしよう!と叫んでいた時もあった。純喜もデビューおめでとう。カルボナーラパーティー行ってもいい?

 

瑠姫君をちゃんと認識しだしたのはコンセプト評価からだった。

ハッピーメリークリスマスを歌う瑠姫君を見てこの子は天性のアイドルだと思った。

綺麗な子だと思った。この子はセンターになるべくして生まれた子だと思った。

誰よりも大好きなんだと歌う瑠姫君めっちゃよかったな…。もうこれしか感想がない。

本当に王子様のようで税金払いたかった。アイドルってこういうことを言うんだなと。

 

そこからは瑠姫君のチッケムを見漁った。

Why?のセンターの瑠姫君が上品すぎてステージ自体は猟奇的な安藤に食われているが私は好きだ。

安藤や佐野、ヒコ強いメンツの中にセンターとして立つ瑠姫君は綺麗だった。

ポエムのように言うと荒野に咲く一輪のバラのような気高い美しさだった。セクシーに環境問題に取り組みたいよね。

安藤たちが前に進む強さだとしたら、瑠姫君は前に進みたいのに過去を少し振り返るかのような、未練を感じるような雰囲気が美しいと思った。

 

ハッピーメリークリスマスに戻ると瑠姫君は小さい頃からずっと大切にしてきた綺麗な石とかビー玉みたいな宝物のようなきらきらとした輝きがあった。

綺麗だった。デビューする瑠姫君が見たいと思った。

あまりプデュを見てないしパフォーマンス中心でプデュを見ていて瑠姫君の人柄なんて最初から見てる人の百分の一も知らない。何なら印象に残ってるのはたい焼き‼だし。「指さすな!」って画面に言うたし。でもステージの上に立つ瑠姫君をみて、この子がセンターのプデュのグループが見たいと思った。

 

そこから友達に最終期間金を払って瑠姫君に投票させた。会社でキットカットを配りながらおばさんたちの携帯で瑠姫君に票を入れた。褒められる行為ではないことは分かっている。でも私は瑠姫君を知るのが遅かったためこれくらいしかできなかった。

 

結局瑠姫君は6位だった。嬉しくて泣いたけど、この子に1位を掴ませてあげられなかった。嬉しいのに悲しくてしくしく泣いた。デビューできなかったオタクからしたらぜいたくな悩みなのかもしれない。あと1歩まで近づいた1位を掴ませられなかったことが悔しいと思った。ほかの人より瑠姫君のこと応援していた期間も短いのに。何ならギャオみたら河野の票数の方が多くて笑った。お前河野のオタクじゃねえか。

 

でも瑠姫君がデビューする。夢を掴んだ。君を頂点に連れていけんかったけど、瑠姫君は自分で階段を駆け上がってしまうと思う。わたしたちオタクを置いていくくらいあっという間に。時々振り向いて引き上げてくれるだろうか。いや俺も自分で追っかけてくるわ。これからのアイドルの瑠姫君見たさに私はまだ元気で生きたいと思った。とりあえず薬ちゃんと飲むわ。

 

瑠姫君デビューおめでとう。

ずっと夢をあきらめないでいてくれてありがとう。

努力を続けてくれてありがとう。

私でも見つけられる場所に出てきてくれてありがとう。

半年間たくさんたくさんがんばってくれてありがとう。

瑠姫君のすべてに感謝したいよ。お母さまにも感謝。

きらきら輝く君をもっと見ていたいです。

もっともっと瑠姫君が幸せでいてほしいです。

リボンをつけて送れるような素敵なものはあげられないけど、君にお金を払うことは出来ます。もう台無しだよこのセリフのせいで。

 

そして最初から瑠姫君を応援していた国プの皆様も、瑠姫君が注目されるように投票やらなんやらお疲れさまでした。あなた方のおかげで瑠姫君と出会えたようなものです。お金持ちだったら一人ひとりに1万円くらいあげたいんですけど。ひもじいのでここでお礼を言うしかできません。すみません。本当にありがとうございます。

 

終わり。誰よりも幸せでいてほしい君へ。