鼻水めっちゃ出るやん

前より増えた薬は気休めだなあと思う。効果はそんなにないなと思いながらも飲まないと不安になるな。ドキドキとする心臓を落ち着かせる方法も、うまく呼吸をする方法も、相変わらず分からない。潰れてしまった体はなかなか元に戻らないんだなあと思う。

湿ったことを書いているので暗い人間かと思いきや、元々おしゃべりで陽気では有るので、休んでる間にゆったりと過ごしたり人間と話していると元気になってきたね、大丈夫そうだねと安心した表情で言葉を投げてくる。元気になってきたかもと私もいう。でも本当はそんなに元気じゃないし、いつだって死にたい。実際1人で暮らしていると時々首をつっては霞む視界に正気を取り戻し、高いビルから飛び降りることを考えて空を見上げてはなんとなく怖くなりもう一度下を向いて歩く。痛いのは好きじゃないしなって死にたいくせに舐めてるなあー。


休職して実家に帰ってる間お母さんに大好きだとたくさん伝えた。お母さんが一番綺麗よ。素敵な言葉をたくさん言った。もちろん大好きだから言っているのも有るけど、正直自分がいつ衝動的に死ぬか分からなくなっているからだと思う。私が死にたくて仕方ない時に、もし本当の本当に死ぬ事を実行に移した時、きっと手放す前に1番に思い浮かぶのはお母さんの顔だと思ったから。あなたが大切で大好きだよ、生きてればいいというお母さんへの申し訳ない気持ちと、お母さんにもっといろんなことを話しておけばよかったと後悔すると思うから。お母さんへ向けて話した優しい言葉は私が死ぬ準備のための言葉の様な気がした。結局は自己満足の言葉だなあと思った。

そういえばきょうばあちゃんちにいった。なぜだか私の小さい頃のアルバムを見せてくれた。綺麗にファイリングされてる写真を見て私はたくさん愛されてるんだなと思った。まだ小さい私を愛おしそうに撫でるお父さんの写真に泣きそうになった。泣いてないけど。でもやっぱり死にたいなと思うのは不思議ね。


私は荒れた家庭で生まれたわけでもないし、少ないけど気の許せる友達がいて、温かい家族がいて、好きなことを勉強して、部署はクソだけど、安泰な大きめの会社に正社員として入って、不幸な人生ではないことはわかる。恵まれてる方だろうと思う。

でも私は死にたいなと思う。このずっと持ってる置き場所のない感情をどうしていいか分からずに今メソメソしながら文章を書いてる。書くことは感情の整理にいいって何かで読んだ。

死にたくてネットで死ぬ方法を調べ、実行できそうなものを考える。手っ取り早く死ぬには人生を全うして老衰みたいな、生きることを諦めるなみたいな記事を読んでは馬鹿じゃないの、糞食らえと思ったりする。別にそういうの求めてない。そんな言葉で生きよ!って思えるのならこんなになってないし。馬鹿みたいだな。そういう人間私嫌い。君より辛い人がいる、君より恵まれない人がいる、君より生きたいと感じてる人がいる。いや知らんし。私は私の感情しか知らないから私がつらいよ。でもそのつらい理由はよくわかんない。変なの。


本当に死ぬ方法を読んでどの方法なら一番迷惑をかけずに死ねるのだろうと考えたり、家で死んだ場合のハウスクリーニングの価格を調べたり、遺品整理で誰かが苦労しない様にできるだけ整理をしておかなきゃとAmazonで段ボールを買おうとしたり。葬式花火あげたいから花火の値段調べたり。

でも結局本当に死ぬ勇気はいつまで経っても出ないんだろう。死にたいなと思いながら今日も明日も死にたい私と今生きている私が共存して生きていくのだろうなと思う。ぱっと早く死ねたらいいのにね。てかなかったことになればいいのにね!私が。あとつらくなったら地元に帰っておいでって言われたけど絶対田舎には帰りたくないなと思う。今以上に世界が狭いから?地元の人間が嫌いだからかな。根本的に人間が嫌いだけど特に嫌いだと思う田舎の人間。つらくても私、都会にいたいわ。落ち着いてきたわ、寝ようかな。トイレ行っとこ。おしまい。明日も生きてるといいね。